2018年7月8日のANTHEM主催のHEADSTRONG FES.18にSABBRABELLSがオリジナルメンバーの高橋喜一氏と共に参加!
SABBRABELLSの復活ライヴは2015年にも行われていて、その時高橋喜一氏は不参加で他の人が歌ってたようです。高橋喜一氏が歌わないSABBRABELLSに違和感があり、申し訳ないそのライヴは見ませんでした。しかし今回は高橋喜一氏を含むラインナップでのSABRABELLSとして参加するというではないか。これは一大事。早速チケットを申込み、あとはその日を待つのみとなっています。
SABBRABELLSには特別な思い入れがあります。HMFでは2001年の4号で特集をしていて、当時音楽業界からは距離を置き、まったくメディアに登場していなかった高橋喜一氏にインタビューをしています。あれからすでに17年が経過し、その間には喜一氏は音楽界に復帰はしているようですが今回SABBRABELLSとしての登場なので驚きます。17年前のインタビューでSABBRABELLSの再結成はあり得ないという話しを聞いていたので。やはり年月の経過の中で心境にも変化があったのでしょう。この復活をポジティブに受け入れ、伝説のヴォーカリスト高橋喜一氏の雄姿を胸に刻みたいと思います。
さて、今回このような記事をブログに掲載しようと思ったのは解散後にインタビューに応えているというのが本当に珍しく、このインタビュー記事が貴重なものですし、HMFの当時のものはすでに絶版で再販の予定もないので、この記事だけでもブログに掲載し7月8日の前にこの伝説のヴォーカリストの事やSABBRABELLSの事をもっと知ってもらいたいと思ったからです。
SABBRABELLS結成のいきさつ、インディーズ時代の事、メジャーデビュー後の変化、解散とその後、楽曲制作のプロセスなど貴重で興味深い話しを実に180分にわたって聞いています。今回は当時の原稿をアーカイブとして公開します。是非読んでみて下さい!(この号が出た2001年はそれまでCDでは入手困難になっていたメジャーデビュー後の作品がCD再発された時期であり、そのタイミングでのインタビューでした。)
アーカイブはこちらからどうぞ。 >> HMF04_Sabbrabells
なぜ我々HMFが高橋喜一氏にインタビューをすることが出来たのか?
この企画を立てた時に僕はどうしても喜一氏にインタビューをしたい。それが無ければこの特集には意味が無いと思ってました。しかしSABBRABELLS解散後にいくつかのバンドに参加したもののいつのまにか音楽業界から消えてしまっていた喜一氏にどうやってコンタクトをすれば良いのか?17年前はネット社会ではあるもののSNSはまだ始まってなかった。ところがHMFにはメタルの神様が時々降りてきてくれるのです。まさにこの出会いがそうでした。HMFスタッフの中にその当時の喜一氏と親しい人を知っているという人がいてその人を通じて連絡と取る事に。しかしインタビューの主旨を説明しても返事はなく、インタビュー文をプリントして郵送しても返事はなかった。ほぼあきらめかけていたある日曜日の夜に僕の携帯電話に見知らぬ番号から着信が。「喜一です。高橋喜一ですけど、おそらく今あなたの家の近くを車で走ってます。今からだったら応じてもいいですよ。インタビューに」と。何の前触れもなくいきなり本人からの電話、しかも偶然にも近くにいる、この機会を逃したら二度と喜一氏には会えないだろうと思い近くで会う事にして僕はレコーダーと原稿を持ってすぐに家を出たのです。
15年ぶりくらいに会う喜一氏は少し穏やかな雰囲気になってはいるものの目の奥にやはりただ者ではないオーラが見え隠れしていた。インタビューは用意し質問文の通りには進まず昔の事を思い起す喜一氏がまるでモノローグのように話してくれて、僕はそれをある程度の時系列にそうように編集しました。結局3時間近くも話してくれたのです。インタビューの最後に「これが大きな商業誌からの依頼だったら受けなかったよ」と言ってくれたのは本当に嬉しかったのです。なんとかこのインタビューをSABBRABELLSの当時を知らない世代に読んでもらいたいという思いで完成させたのがこの企画でした。手前味噌ながら、この喜一氏のインタビューは僕のHMF史上でもっとも価値のある記事だと思っています。 (All text by HMF-Shun Ajiki)